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2020'06.08 (Mon)

ランチを止めて一日一食に

ランチを止めて一日一食に


ついにこの記事を書く日が来ました。

一日一食を目指してもう何年になるのでしょうか?
朝食を止めたのが5年前で、それ以前から一日一食にしたいと思っていましたので、ずいぶん長い期間が経ってしまいましたね。

それがついに実現できました。

一日一食を完全に始めたのは2020年5月6日からです。習慣化の一つの目安である3週間が過ぎても続いていますので、ブログに書くことにしました。

今は、夕食のみにしてます。
その間は間食もせず、水だけを飲んでいました。ただ、5月24日に山歩きに行った際に味噌汁の汁だけ少し頂きました。
その時言われたのですが、断食するにしても塩分は必要なので取った方が良いということです。確かに以前座禅断食の合宿に参加した際に、部屋の中央のテーブルに塩と水が置いてあったことを思い出しました。
そのアドバイスを受けて、それ以降、日中は塩分を取りながら水を飲んでいます。

完全に昼間何も食べない生活を1ヶ月ほどしたわけですが、体に変化があったかというと、特に気がつくような変化はありませんでした。

日中は、さすがに昼頃になるとおなかが空いた感じがあります。何か食べようと思えば食べられる体制にあります。しかし、そこをぐっと我慢して、自分に言い聞かせて、空腹を楽しむような意識で過ごしていると、気にならなくなるものです。

午後5時になったら食べて良いことにしています。
なので、午後になったらあと数時間で食事が食べられる訳ですから、そんなに苦しいと思うことはありません。

5時になると夕食を作り始め、ゆっくり食べて片付けして、大体8時までには食べることも含め全て終わります。
その間はいくら食べても良いことにしているので、ご飯の量も多く、味噌汁はどんぶり一杯ほど作って、とにかくおなかがいっぱいになるほど食べています。そして、たまにデザートと称してアイスクリーム等も食べています。
ちょっと食べすぎだと思いますが、今は自分へのご褒美と言うことで許しています。しかし、さすがに食べきれない量を作ることがあるので、ボチボチ減らしていこうかなと思っています。

(5月30日の夕食です)

IMG_4547.jpg



ところで、僕がなぜ一日一食にしようと思ったかと言いますと、もともとは不食の弁護士秋山さんや、オーストラリアの不食のジャスムヒンさんのお話を聞いて、人間にはそんな能力があるのだということを目の当たりにして、自分もいずれは霞を食べて生きるようになれたらなあと思ったことが始まりです。

その後、ネットのブログなどで一日一食の体験談を読んだりしましたが、その頃は自分には出来そうもないと思っていました。
そんな頃に、船瀬俊介さんの「やってみた一日一食」という本を読みまして、タモリや千葉真一など芸能界の人もたくさん一日一食なのだと知りました。
また体に良いことも確認できて、自分中でいずれは一日一食にしたいと強く思うようになりました。
それが動機でしょうか。

朝食を止めたのは5年前ですが、それから長い間一日一食にすることをなかなか実践出来なくて、ずるずると時間だけが過ぎてきました。
しかし、昨年夏から始めた片付けによって、気持ちの面で軽くなってきて、しかもコロナによる非常事態宣言があって生活様式が変わってきたことで、決心がついたのだと思います。


その後の変化について言いますと、体調の変化については先ほど書きました。今のところ特に変わりは無いように感じます。
大きな変化と言えば、ランチにかけていた時間が他に使えるようになりました。もともとランチにはナッツ類などで済ましていたのでそんなに時間は掛かっていませんでしたが、ランチの時間を取るという概念が無くなり、日中の時間を休むこと無くシームレスに使えるようになりました。
そして、当然のことながらランチに対するお金を使わなくなったので、経済的なメリットがあります。


これから当面は今のスタイルで行こうと思います。最終的には食べないで生きることを目指すと思いますが、それはそのタイミングが来たときに出来る物だと思うので、無理にそうしようとは思っていません。
現在は夕食の一食のみですが、今後お友達などとランチを楽しむことがあったらランチを食べることにしたいと思っています。今まで、一ヶ月以上続けてこられましたので、体はなじんできたと思います。たまにはそういうことがあっても、それによって崩れることはもうないものと思います。

今後、何ヶ月、何年と続けていく中でどのような変化が待っているのかとても楽しみです。

それについては、いずれまた書きたいと思います。


17:04  |  やめたこと  |  CM(0)  |  EDIT   このページの上へ

2020'04.26 (Sun)

間食、お菓子、おやつを止めた

間食、お菓子、おやつを止めた
2020年4月25日


2020年4月7日コロナウイルスの影響で非常事態宣言が発令され、外出自粛の要請が出ました。

そんな中、家に居るとどうしても間食に走ることが多くなって来ました。

非常食と言う思いもあって、チョコレート、クッキーなどのお菓子を買いだめしていました。

あると食べますよね。間食を誘う環境が整ってしまいました。

そのせいか、ここのところ集中力が長続きしなくなった気がします。本を読んでいても内容がなかなか頭に入らなかったり、はたまた睡魔が襲ってきたりしています。

甘い物は体に良くないと言うことは昔から知っていました。しかし、あると食べちゃいますよね。それほど自分の意思が弱いのだなあって思います。

このままではけないので、今週からこの悪しき習慣を変えていこうと思います。

お菓子類は昨日までに全て食べきりました。まずは、お菓子類を買わないことにします。

そして、頭も体もすっきりさて、この自粛期間を乗り切っていこうと思います。


20:31  |  やめたこと  |  CM(0)  |  EDIT   このページの上へ

2019'10.11 (Fri)

英語の個人塾に通うのをやめた

やめたこと

英語の個人塾に通うのをやめた

ちょうど1年前のことになるが、それまで約10年間受けて続けていた英語の個人塾に通うのを止めました。そのことについて書くことにします。


この英語塾の先生は、もともと、ある能力開発のクラスに通っていた先輩でした。先生はその中でトップの能力を開発され、皆から賞賛されるような人でした。
そんな中、先生は能力開発塾を立ち上げられ、僕に今通っているスクールでは先が見込めないからとお誘いがあって、僕も今のスクールには限界を感じていたのでお誘いに乗ることにしました。

当初は能力開発を目的としたカリキュラムで、月に1回訪問して2時間の授業を受けていました。モチベーションを上げるプログラムや、セドナメソッドなどを教わったと思います。
そのうち、その塾では新しく英語のカリキュラムが追加され、塾生の一人がToeic900点以上という大きな成果を出したことにより、本格的に英語を教えることに力を入れられました。
そこで、僕にも英語の授業を受けないかとのお誘いが有りました。
僕は海外旅行にたびたび出かけることがあり、過去にはシンガポールで3年間ほど仕事のために住んだこともあって、英語に対してはもっと読めて話せるようになりたいと常々思っていました。なので、二つ返事で受けることにしました。

英語の本棚



そのような経緯で英語塾に通うことをスタートしました。
最初は月二回、1回あたり2時間で始めました。その頃は会社勤めをしていたこともあり、週末に先生の自宅まで通っていました。

途中から僕の英語力が思うように伸びないと言うことから、毎週通うことになり、その後は英語を理解するには国語力が大事だと言うことで、国語の授業時間を1時間増やして3時間にしました。

IMG_2988_C.jpg


そんな体制が2年くらい続きました。
英語力はTOEICのテストの結果を見ても壁を越えられず伸び悩んでいました。

そして、毎回の授業料も大きな負担になってきて、どうしようかなと思いつつも止めるにもその決断ができないままずるずると続けていました。

そして、2018年の夏、かねてから計画していたフィンドホーンに約3ヶ月半行くことにしたため、英語塾をその間ストップすることにしました。
フィンドホーンで過ごしている間、もちろん毎週の英語塾はありません。その分、客観的に英語塾について考える時間を持つことに出来ました。
その結果、英語塾に通っていることの意義がないことの結論に達し、止めようと決意しました。


この決断にかなりの時間を要したのは、次のような考えが僕の中に張り付いていたからです。
それは、何事も出来るまでやれば達成できるという思いです。このことは真理だと思います。そして、英語の学習もその真理に基づき、出来るまでやろうと自分で決めていました。英語塾を辞めることが、それをあきらめることになると思っていたためになかなか英語塾を止められなかったのです。そのことにやっとで気がついたのです。
この英語塾を止めたからと言って英語を止めるわけではないと自分で納得したら、あっさりと結論が出来ました。

後から思えば、どうしてそんなに長い間その英語塾に通っていたのか不思議でなりません。先生は英語の教え方はうまかったのかもしれませんが、ネイティブのような発音があるわけでもなく、授業料は高額で、しかも自分の英語力は伸び悩んでいる。この状態を冷静に判断したら、もっと早く止めても良かったと思います。それが出来なかったということは、ずいぶん洗脳されていたことになります。

しかし、こうしてその洗脳から自ら解放することが出来たことは、ありがたいことでした。

出来るまでやるという考えは正しいことだと思いますが、その手段は状況を見ながら最善のものを選んでいくのが大事なことだと経験しました。


ありがとうございました。

英語の本棚

13:38  |  やめたこと  |  CM(0)  |  EDIT   このページの上へ

2015'12.21 (Mon)

やめたシリーズ 面倒くさいをやめた



最近の気づき

日ごろ口にしている言葉が自分の人生を実現していることは間違いないようです。
少なくとも僕の場合、完全に当たってました。

今までうすうす感じていたことですが、先日それを明確に気づいたことがあります。

それは、僕は「面倒くさい」という言葉を無意識に発していたということです。

確かに僕は面倒臭がり屋です。

一度書いたものを見直すことはなかなかしません。仕事の場合は、成果物の品質を担保する必要があるので何度も見直しますが、それ以外はなかなか見直すことをしません。

そして、片付けが苦手です。
僕の家の部屋の中には本や資料が山積みになっています。
まさに、面倒くさいと喋っていることがそのまま周りの生活環境に現れています。

このことに気づいたのは、英語の師匠と話をしてる時に、師匠が教えてくれました。

僕は度々そういう言葉をしゃべっていること、それに和訳の日本語が見直せばすぐにおかしいとわかるようなところがあること、単語の和訳が辞書の1番目にかかれているものばかりであること、などでそう理解しているという事でした。

僕がなぜ面倒くさいと無意識で言うようになったのでしょう。
その原因に迫らない限りなかなか解放できませんし、改善できません。

人の行動パターンは3歳迄の周りの環境に影響を受けということのようです。

例えば両親、兄弟、祖父母などに同じような行動パターンを持つ人がいてその人の影響を受けることでそのようになるようです。

少し記憶を辿ってみましたが、思い出せません。
僕の家族にそのような人は見当たらないです。
どこでインプットされたのでしょうかね。

このままではこの性格は直らない事になりますが、それは嫌ですね。
それに気がついた以上、なんとかして改善したいものです。

それでこれから僕は24時間体制で自分を観察する事にしました。
自分の中で面倒くさいと思い浮かんだ時に、それがどんな時に浮かんできたのか、どのような背景で浮かんできたのか、を観察する事です。
それが分かれば手放せば良いわけです。

さて、どうなっていくのか、楽しみです。
12:47  |  やめたこと  |  CM(0)  |  EDIT   このページの上へ

2015'12.12 (Sat)

歳のことを言うのをやめた

やめたシリーズ

歳のことを言うのをやめた

年齢不詳の勧め 

世間一般には60歳にもなると、「歳を取っている」や「歳だから」とか「初老」などと言われ、自らもそのように言葉を発する人が多くいます。

僕も以前は同じように言ってました。

でも、ここ3年位前から、そういう言葉を発するのを意識して止めることにしました。

というのは、まずは「言霊」と言って声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えるということが昔から言われており、それを知識として知っていたからです。

ただ、知識はあってもそれほど本気にしていなかったこともあり、ついつい歳の話を言葉にして喋っていました。

それをやめることに決意するまでになったのは、三年前のフィンドホーンで同室になった同い年の人に「歳を取ったとか歳だからと決して言うものではない」とかなり真面目に言われたことがあったからです。

それまで自分では分からなかったのですが、そのような言葉を無意識にしゃべっていたことに気づかせてもらいました。

それ以来、意識して歳の話はしないようになりました。

歳のことを話さないで気にしないでいると、周りも本当に歳がわからなくなるようです。

というのは、先日ある50代前半の人から、「同級生くらいですよね」と言われました。

その人もものすごく若づくりなのですが、そのように評価されるとうれしいものです。

「60歳の年男」といえば「還暦」と呼ばれ人生の中で大きな一つの区切りではありますが、それにとらわれることなく意識は年齢不詳で若々しくいきたいと思っています。

お勧めですよ。
12:28  |  やめたこと  |  CM(0)  |  EDIT   このページの上へ
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