2015'10.20 (Tue)
フィンドホーンの素敵なところ第6弾
フィンドホーンの良いところ 第6弾 テーゼ
僕はクルーニーヒルしか滞在経験が無いので、そこに限った話になります。
クルーニーでは、毎朝サンクチュアリールームでテーゼを歌う集いがあります。
テーゼについて、ネットの情報を引用します。
「フランスにある『テーゼ共同体』で歌われている古いミサ曲をフィンドホーンのバーバラ・スエッティーナさんが現地で学び、テーゼとして紹介されたそうです。
シンプルな歌詞が多く、歌ううちに瞑想状態に導いてくれるため、『歌う瞑想』と呼ぶ人もいます。
フィンドホーンでは、毎朝サンクチュアリ(瞑想室)で行われる集いをはじめ、毎日みんなに歌われています。」
というものです。
時間になると担当の方がやってきて、テーゼの本を出してきたり、「バス」、「テノール」、「アルト」、「ソプラノ」という札を並べたりと準備をされます。
そして人が集まってきて、それぞれ自分の声の高さに合った札の席に座ります。
テーゼの会を主催する方の選曲によりその日に歌う曲が決まります。
最初は発生を少しやります。
これがなかなか難しいです。
僕はいつもテノールに座ります。
ほとんと知らないので歌えません。回りの人に倣って声を出しているという感じです。
やはり女性が多いので、ソプラノやアルトは人気です。男性はほとんどがバスに座るので、テノールは希少価値です。
ほとんどのテーゼが声の高さによって歌う旋律が決まっています。
そのハーモニーが美しく気持ちがいいです。
なかなかすてきな時間を過ごせます。
眠い体を優しく目覚めさせ、朝の至福のひと時を過ごせます。
オススメです。
テーゼの本です。イギリスのアマゾンで購入しました。

そしてバーバラのこの本も使います。

僕が好きな "santo santo santo"というテーゼです。
セイクリッドダンスの動画がありました。
それからバーバラの歌の本にある、“Mandala”です。
この曲も大好きです。
最後に“E Malama”です。
これもセイクリッドダンスで観てください。
僕はクルーニーヒルしか滞在経験が無いので、そこに限った話になります。
クルーニーでは、毎朝サンクチュアリールームでテーゼを歌う集いがあります。
テーゼについて、ネットの情報を引用します。
「フランスにある『テーゼ共同体』で歌われている古いミサ曲をフィンドホーンのバーバラ・スエッティーナさんが現地で学び、テーゼとして紹介されたそうです。
シンプルな歌詞が多く、歌ううちに瞑想状態に導いてくれるため、『歌う瞑想』と呼ぶ人もいます。
フィンドホーンでは、毎朝サンクチュアリ(瞑想室)で行われる集いをはじめ、毎日みんなに歌われています。」
というものです。
時間になると担当の方がやってきて、テーゼの本を出してきたり、「バス」、「テノール」、「アルト」、「ソプラノ」という札を並べたりと準備をされます。
そして人が集まってきて、それぞれ自分の声の高さに合った札の席に座ります。
テーゼの会を主催する方の選曲によりその日に歌う曲が決まります。
最初は発生を少しやります。
これがなかなか難しいです。
僕はいつもテノールに座ります。
ほとんと知らないので歌えません。回りの人に倣って声を出しているという感じです。
やはり女性が多いので、ソプラノやアルトは人気です。男性はほとんどがバスに座るので、テノールは希少価値です。
ほとんどのテーゼが声の高さによって歌う旋律が決まっています。
そのハーモニーが美しく気持ちがいいです。
なかなかすてきな時間を過ごせます。
眠い体を優しく目覚めさせ、朝の至福のひと時を過ごせます。
オススメです。
テーゼの本です。イギリスのアマゾンで購入しました。

そしてバーバラのこの本も使います。

僕が好きな "santo santo santo"というテーゼです。
セイクリッドダンスの動画がありました。
それからバーバラの歌の本にある、“Mandala”です。
この曲も大好きです。
最後に“E Malama”です。
これもセイクリッドダンスで観てください。
2015'10.17 (Sat)
お酒をやめた その4
お酒をやめた その4
いよいよお酒をやめることにしたいきさつを話すことにしましょう。
2010年頃から、平日は家では飲まないというルールは自分の中で出来上がっており、お酒に対するコントロールができるようになってきていました。
でもやめませんでした。やめる理由がなかったし、完全にやめようとも思わなかったのです。
そんな状況の中、2011年12月、英語の師匠けらお酒をやめる事を勧められました。
お酒を飲むと勉強出来ない、そもそもアルコール漬けの身体自体が勉強に身が入らない体質を作っている。そういった仮説に基づく体質改善をするための対策でありました。
お酒を飲んだ日は何も手につかないし、眠くなってしまうし、何も良い事がないと自分でも感じていました。
そしてかねてからお酒をやめた方が良いよなぁという思いがあったこともあり、すんなりそのアドバイスに従い、2012年1月からお酒を止めることにしました。
お酒を止めて特に困った事はありませんでしたが、会社の仲間と飲みに行く機会がめっきり少なくなりました。
飲まないと宣言すると誘いづらいのでしょう。
お酒を飲まないという事に対しては自分の中で確固たる意思を持ってました。
ある会社の期末打ち上げのような飲み会で、社長から「俺の酒が飲めないのか」と言われたときでも「飲みません」と素直に答えていました。
サラリーマンとしては普通ありえない反応で、周りは驚いていました。
その年の半年くらい経ったら断酒の成果が出てきました。
英語の勉強がはかどるようになり、血圧も前年と比べて正常値に下がりました。嬉しかったですね。
師匠もそれを見て喜んでくれました。
それで安心したのか、飲まない事が気の毒に思ったのか、その年の年末に師匠から「適度な量ならお酒を飲んでも良いよ」と言われました。
自分も一年間飲まずに過ごせたし、適度な量ならコントロール出来ると思いお酒を飲み始めました。
その時のルールは前と同じ、家では飲まない、という事にしていました。
それから半年くらいは体が良い調子だったのですが、だんだん以前のような状態に戻ってしまいました。
適度な量ならと始めましたが、飲み始めると止まりません。ついつい飲んでしまいます。コントロールする事は難しいとわかりました。
それを感じたので、翌年の2014年1月から断酒を再開しました。
それ以降今に至っています。
止めてからもうすぐ2年になりますが飲もうという気にはなりません。
ま、そのうち飲み始めるかもですが何とも言えませんね。
体の調子も良いし、飲まない事で今に生きる時間が増えて充実した人生になっているように思います。
結局、お酒をやめなさいとシンガポールで初めて言われてから約20年が経ちました。
僕にとってはそれだけの年月が必要だったのでしょう。
こうやって振り返ってみると、できないと思っていたことができるようになっているわけです。
意思が強いからと言えるかもしれません。
飲みたいという気持ちとどう折り合いをつけるか、そこにやめることの極意があるのかもしれません。
自分をコントロールできるのは自分だけです。そして自分に支配されるのも自分です。本来の自分がどこにいるのか、そこに気づいて意識を持つことが大切のように思います。
お酒をやめたことで今はそう思っています。
お酒をやめたお話はこれで終わりです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
いよいよお酒をやめることにしたいきさつを話すことにしましょう。
2010年頃から、平日は家では飲まないというルールは自分の中で出来上がっており、お酒に対するコントロールができるようになってきていました。
でもやめませんでした。やめる理由がなかったし、完全にやめようとも思わなかったのです。
そんな状況の中、2011年12月、英語の師匠けらお酒をやめる事を勧められました。
お酒を飲むと勉強出来ない、そもそもアルコール漬けの身体自体が勉強に身が入らない体質を作っている。そういった仮説に基づく体質改善をするための対策でありました。
お酒を飲んだ日は何も手につかないし、眠くなってしまうし、何も良い事がないと自分でも感じていました。
そしてかねてからお酒をやめた方が良いよなぁという思いがあったこともあり、すんなりそのアドバイスに従い、2012年1月からお酒を止めることにしました。
お酒を止めて特に困った事はありませんでしたが、会社の仲間と飲みに行く機会がめっきり少なくなりました。
飲まないと宣言すると誘いづらいのでしょう。
お酒を飲まないという事に対しては自分の中で確固たる意思を持ってました。
ある会社の期末打ち上げのような飲み会で、社長から「俺の酒が飲めないのか」と言われたときでも「飲みません」と素直に答えていました。
サラリーマンとしては普通ありえない反応で、周りは驚いていました。
その年の半年くらい経ったら断酒の成果が出てきました。
英語の勉強がはかどるようになり、血圧も前年と比べて正常値に下がりました。嬉しかったですね。
師匠もそれを見て喜んでくれました。
それで安心したのか、飲まない事が気の毒に思ったのか、その年の年末に師匠から「適度な量ならお酒を飲んでも良いよ」と言われました。
自分も一年間飲まずに過ごせたし、適度な量ならコントロール出来ると思いお酒を飲み始めました。
その時のルールは前と同じ、家では飲まない、という事にしていました。
それから半年くらいは体が良い調子だったのですが、だんだん以前のような状態に戻ってしまいました。
適度な量ならと始めましたが、飲み始めると止まりません。ついつい飲んでしまいます。コントロールする事は難しいとわかりました。
それを感じたので、翌年の2014年1月から断酒を再開しました。
それ以降今に至っています。
止めてからもうすぐ2年になりますが飲もうという気にはなりません。
ま、そのうち飲み始めるかもですが何とも言えませんね。
体の調子も良いし、飲まない事で今に生きる時間が増えて充実した人生になっているように思います。
結局、お酒をやめなさいとシンガポールで初めて言われてから約20年が経ちました。
僕にとってはそれだけの年月が必要だったのでしょう。
こうやって振り返ってみると、できないと思っていたことができるようになっているわけです。
意思が強いからと言えるかもしれません。
飲みたいという気持ちとどう折り合いをつけるか、そこにやめることの極意があるのかもしれません。
自分をコントロールできるのは自分だけです。そして自分に支配されるのも自分です。本来の自分がどこにいるのか、そこに気づいて意識を持つことが大切のように思います。
お酒をやめたことで今はそう思っています。
お酒をやめたお話はこれで終わりです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
2015'10.12 (Mon)
不食への道 2015進捗状況
不食への道 2015年10月12日(月)
9日(土)のランチを会社の同僚と食べた後不食をやってみました。
その記録を残しておきたいと思います。
9日の夕食時間、いつも食べているのでお腹がすいたという感覚が湧いてきました。
でも気持ちを切り替えて英語の勉強をしたりして時間をつぶしました。
とりあえず問題ありません。
10日の午前中は英語の師匠と個人レッスンでした。
少し身体がふらっとする感じがあるけれど、勉強に支障をきたすような事はありませんでした。
お腹がすいてしょうがないという感じはなかったですね。
これなら1日一食は行けそうだなと確信しました。
その後、車でショッピングに出かけました。
運転も問題ありません。
ただ、食べていないという認識がなんか食べないとまずいかなという思考を生み出してきます。
10日の夜、カラオケトレーニングの授業があり歌の練習をして来ました。いつもより高音が出しにくい感じかした他は特に問題がなかっなです。
ただ、身体がエネルギー切れのようで、少しフラフラした感じがありました。
11日の朝、チョットお腹が痛くなり、喉も渇いていたので水をたくさん飲みました。
そしたらお腹の痛みは消えましたが、何とも言えないエネルギー不足感はまだ残ってました。
そんな状態だったので午前中はあまり動く気がしませんでしたが、夕方になって散歩に出かけることにしました。
途中慶応大学のキャンパスを通り、木々からブラーナのエネルギーをたくさんもらった感じがしました。
のどか乾いてたので、喫茶店に入りストレート紅茶を頼みました。
喉が渇いている時、口の中が塩っぱい感じがします。これは今までない味覚だと思います。
いつもはコーヒーを飲んでいるのでお店のマスターがその事に気付いて声をかけられました。
確かにそのお店で紅茶を頼んだのは初めてだったと思います。
紅茶を飲んで落ち着いたら身体が安定して来ました。
お腹がすいたという感覚は全く無く、もしかしたらこのまま不食の生活に入れるのではないかという感覚が湧いてきました。
その夜、夕食を食べる必要が無くたっぷり時間がありましたが、流石にやる気がおきません。
秋山さんのように、食べない事で身体が軽くなって元気になるというのはどういう事なのでしょうか?
まだ今のままじゃ、秋山さんのようにはなれないなと感じました。

同じ人間なのに何が違うんでしょうか?
もう一度、ジャスムヒンさんの書いた本を読んでみたいと思います。
ジャスムヒンさんが昨年のリトリートで言われた不食の人の特徴を記録から転記します。

①瞑想を行っている
②お祈りをしている
③マインドをマスターしている:思考や感情を主体的にコントロールする
④ベジタリアンの食事、食事を軽くしている
⑤身体にいっぱい感謝をしている、運動をしている
⑥奉仕
⑦自然の中ですごす
⑧神聖な音楽
これらを実践する事で、不食の仲間に入れるのかもしれません。
今の所、④、⑥、⑦がまだまだできていないですね。
他はぼちぼちだと思います。
今回はほぼ丸々3日間水と一杯の紅茶で過ごしました。
とてもいい経験になりました。
次回はもっと長くやってみたいと思っています。
その課題として⑥を徹底的に習慣づけをしていくことが大事なんですよね。
何度も読み返して日頃の生活の中に落とし込んでいきたいと思います。
9日(土)のランチを会社の同僚と食べた後不食をやってみました。
その記録を残しておきたいと思います。
9日の夕食時間、いつも食べているのでお腹がすいたという感覚が湧いてきました。
でも気持ちを切り替えて英語の勉強をしたりして時間をつぶしました。
とりあえず問題ありません。
10日の午前中は英語の師匠と個人レッスンでした。
少し身体がふらっとする感じがあるけれど、勉強に支障をきたすような事はありませんでした。
お腹がすいてしょうがないという感じはなかったですね。
これなら1日一食は行けそうだなと確信しました。
その後、車でショッピングに出かけました。
運転も問題ありません。
ただ、食べていないという認識がなんか食べないとまずいかなという思考を生み出してきます。
10日の夜、カラオケトレーニングの授業があり歌の練習をして来ました。いつもより高音が出しにくい感じかした他は特に問題がなかっなです。
ただ、身体がエネルギー切れのようで、少しフラフラした感じがありました。
11日の朝、チョットお腹が痛くなり、喉も渇いていたので水をたくさん飲みました。
そしたらお腹の痛みは消えましたが、何とも言えないエネルギー不足感はまだ残ってました。
そんな状態だったので午前中はあまり動く気がしませんでしたが、夕方になって散歩に出かけることにしました。
途中慶応大学のキャンパスを通り、木々からブラーナのエネルギーをたくさんもらった感じがしました。
のどか乾いてたので、喫茶店に入りストレート紅茶を頼みました。
喉が渇いている時、口の中が塩っぱい感じがします。これは今までない味覚だと思います。
いつもはコーヒーを飲んでいるのでお店のマスターがその事に気付いて声をかけられました。
確かにそのお店で紅茶を頼んだのは初めてだったと思います。
紅茶を飲んで落ち着いたら身体が安定して来ました。
お腹がすいたという感覚は全く無く、もしかしたらこのまま不食の生活に入れるのではないかという感覚が湧いてきました。
その夜、夕食を食べる必要が無くたっぷり時間がありましたが、流石にやる気がおきません。
秋山さんのように、食べない事で身体が軽くなって元気になるというのはどういう事なのでしょうか?
まだ今のままじゃ、秋山さんのようにはなれないなと感じました。

同じ人間なのに何が違うんでしょうか?
もう一度、ジャスムヒンさんの書いた本を読んでみたいと思います。
ジャスムヒンさんが昨年のリトリートで言われた不食の人の特徴を記録から転記します。

①瞑想を行っている
②お祈りをしている
③マインドをマスターしている:思考や感情を主体的にコントロールする
④ベジタリアンの食事、食事を軽くしている
⑤身体にいっぱい感謝をしている、運動をしている
⑥奉仕
⑦自然の中ですごす
⑧神聖な音楽
これらを実践する事で、不食の仲間に入れるのかもしれません。
今の所、④、⑥、⑦がまだまだできていないですね。
他はぼちぼちだと思います。
今回はほぼ丸々3日間水と一杯の紅茶で過ごしました。
とてもいい経験になりました。
次回はもっと長くやってみたいと思っています。
その課題として⑥を徹底的に習慣づけをしていくことが大事なんですよね。
何度も読み返して日頃の生活の中に落とし込んでいきたいと思います。
2015'10.10 (Sat)
お酒をやめた その3
お酒をやめた その3
いよいよお酒をやめることにしたいきさつを話すことにしましょう。
社会人になってからはほぼ毎日お酒を飲んでいました。晩ご飯を食べる時には必ずビールなどを飲みました。
その頃の瓶ビールは大瓶でそれだけでお腹がいっぱいになり、それに普通に定食なんかを食べてましたから、どう見ても食べ過ぎでしたね。
体もあまり丈夫でなく、毎年必ず風邪をひいてましたが、そんな時でも飲んでましたからよっぽど好きだったのだと思います。
結婚式してもその習慣は続きました。家内はお酒を飲めない方だったので一人で飲んで酔っ払って寝てしまうという生活のスタイルでした。
それほどお酒が好きな僕でしたが、さすがに入院した時は飲みませでしたね。当たり前ですが…
それがどうしてやめるようになったのでしょうか?
まず、最初の断酒の経験は1995年からのシンガポール赴任時代です。
健康管理のためと漢方薬を処方する治療院を先任から紹介されて通う事になったのですが、そこでお酒は飲まない方が良いと宣言されてしまったのです。

家内からはこれぞとばかり、毎日飲むのはやめなさいと言われました。
慣れない海外で、漢方薬の専門家からは飲まない方が良いと言われ、家内からも催促されて、仕方なく家では一週間に1日だけ飲むように我慢することにしました。
日本に帰ってからも、その習慣はある程度維持していました。
ただその反動で外で食べる時は必ずお酒を飲み、その量も増えていたと思います。
そんな状態がずっーと続き、お酒をやめられずにいました。
そんな僕が初めて長期にわたりお酒をやめる事になった最初のイベントは、2007年8月、その頃通ってた速読教室の夏期特訓に参加する条件に2ヶ月禁酒というのがあったからです。
僕にはとてもできないと思いましたが、どうしても夏期特訓に参加したかったので仕方なく禁酒する事にしました。
その頃はタバコはやめてもお酒は絶対にやめられないだろうなと思ってましたから、よく出来たたなあと思います。
夏期特訓に参加するために必要なんだという条件があったから続けられたのだと思います。
特訓の打ち上げの時に久しぶりにビールを飲みましたが、不思議な感じがしました。
あ、またお酒を飲む生活に戻ってしまうんだなって。
ただ、それを機会に意識してお酒の飲む回数を減らすようにはなってきました。
自分で条件を作って守りました。
そして、平日は家では飲まない事とするという条件まで持って行けました。
それでも断酒するまでの決断には至らなかったです。
それがどうして止められたのか?
次回に続く事にします。
いよいよお酒をやめることにしたいきさつを話すことにしましょう。
社会人になってからはほぼ毎日お酒を飲んでいました。晩ご飯を食べる時には必ずビールなどを飲みました。
その頃の瓶ビールは大瓶でそれだけでお腹がいっぱいになり、それに普通に定食なんかを食べてましたから、どう見ても食べ過ぎでしたね。
体もあまり丈夫でなく、毎年必ず風邪をひいてましたが、そんな時でも飲んでましたからよっぽど好きだったのだと思います。
結婚式してもその習慣は続きました。家内はお酒を飲めない方だったので一人で飲んで酔っ払って寝てしまうという生活のスタイルでした。
それほどお酒が好きな僕でしたが、さすがに入院した時は飲みませでしたね。当たり前ですが…
それがどうしてやめるようになったのでしょうか?
まず、最初の断酒の経験は1995年からのシンガポール赴任時代です。
健康管理のためと漢方薬を処方する治療院を先任から紹介されて通う事になったのですが、そこでお酒は飲まない方が良いと宣言されてしまったのです。

家内からはこれぞとばかり、毎日飲むのはやめなさいと言われました。
慣れない海外で、漢方薬の専門家からは飲まない方が良いと言われ、家内からも催促されて、仕方なく家では一週間に1日だけ飲むように我慢することにしました。
日本に帰ってからも、その習慣はある程度維持していました。
ただその反動で外で食べる時は必ずお酒を飲み、その量も増えていたと思います。
そんな状態がずっーと続き、お酒をやめられずにいました。
そんな僕が初めて長期にわたりお酒をやめる事になった最初のイベントは、2007年8月、その頃通ってた速読教室の夏期特訓に参加する条件に2ヶ月禁酒というのがあったからです。
僕にはとてもできないと思いましたが、どうしても夏期特訓に参加したかったので仕方なく禁酒する事にしました。
その頃はタバコはやめてもお酒は絶対にやめられないだろうなと思ってましたから、よく出来たたなあと思います。
夏期特訓に参加するために必要なんだという条件があったから続けられたのだと思います。
特訓の打ち上げの時に久しぶりにビールを飲みましたが、不思議な感じがしました。
あ、またお酒を飲む生活に戻ってしまうんだなって。
ただ、それを機会に意識してお酒の飲む回数を減らすようにはなってきました。
自分で条件を作って守りました。
そして、平日は家では飲まない事とするという条件まで持って行けました。
それでも断酒するまでの決断には至らなかったです。
それがどうして止められたのか?
次回に続く事にします。
2015'10.03 (Sat)
フィンドホーン ハグ
フィンドホーンの素敵なところ第5弾
ハグ
もうこれは説明するまでもないでしょうね。

ハグほど人と人を近づけるものはないでしょう。
日本の場合、まだまだ習慣化されていませんが、海外では一半的な挨拶の一つにすぎません。
しかし今のところ会社なんかではとても出来ませんね。
セクシャルハラスメントとか言われてその後は事件として扱われる可能性が十分高いでしょうから。
そう出来ない風土になってしまっています。
ただ、そういう人たちも心の深いところではハグの良さを理解しているようで、お酒などが入り気持ちがおおらかになると抵抗がなくなり出来るようです。
普段から挨拶代わりに出来るといいのにと思います。
フィンドホーンでは知り合いの間ならいつでも、初めての人でも挨拶代わりにハグをします。
なので、日本でもフィンドホーンの経験者の方と会う時はハグをすることが多いですね。
ただ、日本にいるとそういう機会があってもなかなか、ハグできません。
確かに、女子の方とのハグはすんなりいかないことが多いかもです。
最近はフィンドホーン関係者だけでなくても自分の周りにそういうことができる人が増えてきた気がします。
イスラエルの旅を共にした友や、あるセミナーの後の飲み会に集まった人などとはハグしました。
また、つい先日長崎でお世話になった友人のご主人と別れる際に、どうしてもハグしたくなってお願いしてハグさせていただきました。
快く受けてもらいました。
男子女子関係なく、人と人とのつながりを無意識レベルで共有し、知らぬ間に壁が取り払えてしまう。そんな効用がハグにはあるように思います。
そして、これは世界平和に繋がってると思います。
みなさん、ハグしましょう。
僕はシャイな方で自分からなかなかハグしようって近寄れません。
ですので、僕に出会ったならぜひぜひハグしてください。
ハグも自分の世界の周りに広めていきたいことの一つです。
ハグ
もうこれは説明するまでもないでしょうね。

ハグほど人と人を近づけるものはないでしょう。
日本の場合、まだまだ習慣化されていませんが、海外では一半的な挨拶の一つにすぎません。
しかし今のところ会社なんかではとても出来ませんね。
セクシャルハラスメントとか言われてその後は事件として扱われる可能性が十分高いでしょうから。
そう出来ない風土になってしまっています。
ただ、そういう人たちも心の深いところではハグの良さを理解しているようで、お酒などが入り気持ちがおおらかになると抵抗がなくなり出来るようです。
普段から挨拶代わりに出来るといいのにと思います。
フィンドホーンでは知り合いの間ならいつでも、初めての人でも挨拶代わりにハグをします。
なので、日本でもフィンドホーンの経験者の方と会う時はハグをすることが多いですね。
ただ、日本にいるとそういう機会があってもなかなか、ハグできません。
確かに、女子の方とのハグはすんなりいかないことが多いかもです。
最近はフィンドホーン関係者だけでなくても自分の周りにそういうことができる人が増えてきた気がします。
イスラエルの旅を共にした友や、あるセミナーの後の飲み会に集まった人などとはハグしました。
また、つい先日長崎でお世話になった友人のご主人と別れる際に、どうしてもハグしたくなってお願いしてハグさせていただきました。
快く受けてもらいました。
男子女子関係なく、人と人とのつながりを無意識レベルで共有し、知らぬ間に壁が取り払えてしまう。そんな効用がハグにはあるように思います。
そして、これは世界平和に繋がってると思います。
みなさん、ハグしましょう。
僕はシャイな方で自分からなかなかハグしようって近寄れません。
ですので、僕に出会ったならぜひぜひハグしてください。
ハグも自分の世界の周りに広めていきたいことの一つです。
| HOME |