2015'11.26 (Thu)
るんるの会
るんる体験レポート
先日、2015/11/24(火)、植原紘治さん主催の「るんるの会」に初めて参加してきました。
http://www.runru.info
先月の船井フォーラムで講演されて興味を持ち、早速申し込んでみました。
今回の船井フォーラムでは新しい講師の方との出会いがありましたね。
それらを一つ一つ試してみて自分に合うものかどうか確認する作業は楽しいものです。
ということで、
18:20ころ会場に行ったらすでに始まっていました。
その会は18:00開始なのですが、会社が終わってからとても間に合う時間ではないので仕方がないです。
会場は人でいっぱいでした。
しかもみなさん床に仰向けになって寝ています。
受付もなく、入ってどこに行けば良いのかわからず、1人入り口で戸惑いながら会場を見渡すと、寝ている人のあいだを歩いている植原さんが手振りでこっちが空いているよって場所を示してくれました。
みなさん準備が良いですね。敷き物や掛け物を用意して暖かそうです。
僕の場合何も持ってこなかったので、取り敢えず上着を脱いでそのまま絨毯ばりの床に横になりました。
さすがに冷えます。
今度来るときは敷物を持ってこようと頭を巡らしていたら、すでに始まっていたるんるに導かれてだんだんその中に引き込まれていきました。
会の内容というのはセッションというのか、なんと言えば良いのでしょう。
みんなが横になっている間を植原さんが歩きながらおまじないのような言葉を発しながら歩いて回るということが行われているようです。
目をつむっていたので本当かどうかは定かではありませんが、声の聞こえる様子ではそう感じました。
会は2回に分けて行われました。
最初の方は初めてのことでもあり何が起きるかわからないので意識を持っていましたが、二回目の時は始まってから終わるまであっという間に過ぎた感じがありました。
一回の会は時間でいうと45分間くらいだと思います。
眠ってしまったわけでは無いのですが、時間の感覚が無くなったような不思議な体験でした。
そのあと、みんなの質問コーナーがあって、終わりました。
質問コーナーではいろいろと面白いお話を聞けました。
例えばこんなお話です。
「人にできる事は自分にもできます。でも、100メートルを10秒で走れと言われてもできません。」
「僕は太陽に何度も言ってます。皆さにもできますから行ってみてください。」
「小さい頃、お地蔵さんにオシッコをかけたらそのあと三日間意識がなかった。」
「お地蔵さんとは縁があり、玉を幾つも貰った。」
「左脳を一番使ってたのはお釈迦様です。」
「左脳が活用されなければ、右脳は働かない。」
「この会場は素晴らしい。ここでセミナーをやったら成功間違いない。」
「体が冷たいと感じるのは抵抗が無いから。力が抜けている証拠。エネルギーが、スースーと通っていくのです。抵抗があるとそこで熱が発生します。」
などなど
とても面白い体験でした。
体をゆるめるという事を徹底的に実践する場と理解しました。
僕の体質がこれによってどのように変わっていくのかこれからが楽しみです。
オススメです。
先日、2015/11/24(火)、植原紘治さん主催の「るんるの会」に初めて参加してきました。
http://www.runru.info
先月の船井フォーラムで講演されて興味を持ち、早速申し込んでみました。
今回の船井フォーラムでは新しい講師の方との出会いがありましたね。
それらを一つ一つ試してみて自分に合うものかどうか確認する作業は楽しいものです。
ということで、
18:20ころ会場に行ったらすでに始まっていました。
その会は18:00開始なのですが、会社が終わってからとても間に合う時間ではないので仕方がないです。
会場は人でいっぱいでした。
しかもみなさん床に仰向けになって寝ています。
受付もなく、入ってどこに行けば良いのかわからず、1人入り口で戸惑いながら会場を見渡すと、寝ている人のあいだを歩いている植原さんが手振りでこっちが空いているよって場所を示してくれました。
みなさん準備が良いですね。敷き物や掛け物を用意して暖かそうです。
僕の場合何も持ってこなかったので、取り敢えず上着を脱いでそのまま絨毯ばりの床に横になりました。
さすがに冷えます。
今度来るときは敷物を持ってこようと頭を巡らしていたら、すでに始まっていたるんるに導かれてだんだんその中に引き込まれていきました。
会の内容というのはセッションというのか、なんと言えば良いのでしょう。
みんなが横になっている間を植原さんが歩きながらおまじないのような言葉を発しながら歩いて回るということが行われているようです。
目をつむっていたので本当かどうかは定かではありませんが、声の聞こえる様子ではそう感じました。
会は2回に分けて行われました。
最初の方は初めてのことでもあり何が起きるかわからないので意識を持っていましたが、二回目の時は始まってから終わるまであっという間に過ぎた感じがありました。
一回の会は時間でいうと45分間くらいだと思います。
眠ってしまったわけでは無いのですが、時間の感覚が無くなったような不思議な体験でした。
そのあと、みんなの質問コーナーがあって、終わりました。
質問コーナーではいろいろと面白いお話を聞けました。
例えばこんなお話です。
「人にできる事は自分にもできます。でも、100メートルを10秒で走れと言われてもできません。」
「僕は太陽に何度も言ってます。皆さにもできますから行ってみてください。」
「小さい頃、お地蔵さんにオシッコをかけたらそのあと三日間意識がなかった。」
「お地蔵さんとは縁があり、玉を幾つも貰った。」
「左脳を一番使ってたのはお釈迦様です。」
「左脳が活用されなければ、右脳は働かない。」
「この会場は素晴らしい。ここでセミナーをやったら成功間違いない。」
「体が冷たいと感じるのは抵抗が無いから。力が抜けている証拠。エネルギーが、スースーと通っていくのです。抵抗があるとそこで熱が発生します。」
などなど
とても面白い体験でした。
体をゆるめるという事を徹底的に実践する場と理解しました。
僕の体質がこれによってどのように変わっていくのかこれからが楽しみです。
オススメです。
2015'11.15 (Sun)
やめたことシリーズ お肉をやめた
やめたことシリーズ お肉をやめた 前半
ここ一、二年お肉を食べなくなりました。

と言っても厳格に食べないわけではありません。
野菜ラーメンをたのんでも肉が入っていることがあるし、定食にトン汁が付いてくることもあります。
そんな場合はよほど肉肉しくない限りたべることにしています。
今の所ゆるゆるな制限ではあります。
以前はすき焼きや焼き肉、かつ丼などお肉を普通に食べていました。
小さいころは肉はあまり出てこず、高級なものというイメージがあり、その後も肉料理が出るとそちらを優先して食べるようになっていました。
今まではそんな食生活環境にあったわけですが、なぜ肉食を敬遠するようになったのでしょうか?
それについて振り返ってみることにします。
小さい頃の田舎では、あまりおぼえていませんが、食卓には肉はほとんど出なかったと思います。
たまにニワトリを絞めてそれが出てきたくらいだったでしょうか。
ニワトリが卵を産んだ時は食べさせてもらいました。
小学校に入り給食が出るようになってからは、たまに肉も出るようになったと思います。
一番好きだったのはくじらの竜田揚げで、トン汁なんかも好きでした。
すき焼きなどはせいぜい年に1〜2回だったと思います。
よく食べたのは、「とんちゃん」という内臓を煮たものです。これが結構いけました。
それから、くまの肉も食べたことがあります。
肉と言えるかどうか分かりませんがついでに書いておくとすると、蜂の子やシマヘビなんかも食べてました。
高校に入ってからは下宿をしていたので、バランスを考えた食事が出たように思います。ウインナーとか玉子焼きなんかはよくお弁当に入つてたのではないでしょうか。
大学に入り、そこでも下宿していましたので朝晩は食事が出ました。
昼は学食で食べてましたが、何を食べてたのかあまり覚えていません。
休みの日は行きつけの定食屋に行って、よく食べてたのがカツ丼だったと思います。
その頃は魚より肉がすきでしたね。
社会人になり、独身時代も外食でしたが、大体は肉料理でした。生姜焼き、カツ丼、カツカレー、たまにとんかつ定食、酢豚、肉野菜炒め、焼肉、すき焼き、冷し中華やチャーシュー麺などなど、肉肉肉でした。
結婚してからも肉食は続きました。
朝食からシャウエッセンのウインナーを食べてましたし、晩御飯の定番は豚肉の生姜焼き、ハンバーグで、休みの日はマックのハンバーガー、そんな食生活を送ってました。
家内が身体をこわし、お医者さんから食生活の改善勧告を受け、肉より魚を食べなさいと言われ、それから少し気をつけるようになりました。
その機会以降は肉を食べることが少なくなりましたが、全く食べないというわけではなありませんでした、
家内が亡くなった後、一人暮らしになって自宅で食事するときは基本は魚を食べてました。
たまに唐揚げを食べようと買ってきましたが、あまり食べられず無理して食べたという記憶があります。やはり一人ものにとってスーパーの販売単位は多すぎますね。
そんな中で、外食は相変わらずハンバーグやハンバーガー、チキンカツ、とんかつなどを食べ続けておりました。そして焼き肉もよく食べました。


肉食を減らしたほうが良いとは、速読教室などで聞いていましたし、知識としたはありましたが実践にはほど遠い状況でした。
概念としては分かっているのだけれど、身体からの肉を食べたいとう要求が勝ってしまい、頭はそれに負けてまあ良いかって思ってストップすることができない、そんな状態だったのだと思います。
後半に続く・・・
ここ一、二年お肉を食べなくなりました。

と言っても厳格に食べないわけではありません。
野菜ラーメンをたのんでも肉が入っていることがあるし、定食にトン汁が付いてくることもあります。
そんな場合はよほど肉肉しくない限りたべることにしています。
今の所ゆるゆるな制限ではあります。
以前はすき焼きや焼き肉、かつ丼などお肉を普通に食べていました。
小さいころは肉はあまり出てこず、高級なものというイメージがあり、その後も肉料理が出るとそちらを優先して食べるようになっていました。
今まではそんな食生活環境にあったわけですが、なぜ肉食を敬遠するようになったのでしょうか?
それについて振り返ってみることにします。
小さい頃の田舎では、あまりおぼえていませんが、食卓には肉はほとんど出なかったと思います。
たまにニワトリを絞めてそれが出てきたくらいだったでしょうか。
ニワトリが卵を産んだ時は食べさせてもらいました。
小学校に入り給食が出るようになってからは、たまに肉も出るようになったと思います。
一番好きだったのはくじらの竜田揚げで、トン汁なんかも好きでした。
すき焼きなどはせいぜい年に1〜2回だったと思います。
よく食べたのは、「とんちゃん」という内臓を煮たものです。これが結構いけました。
それから、くまの肉も食べたことがあります。
肉と言えるかどうか分かりませんがついでに書いておくとすると、蜂の子やシマヘビなんかも食べてました。
高校に入ってからは下宿をしていたので、バランスを考えた食事が出たように思います。ウインナーとか玉子焼きなんかはよくお弁当に入つてたのではないでしょうか。
大学に入り、そこでも下宿していましたので朝晩は食事が出ました。
昼は学食で食べてましたが、何を食べてたのかあまり覚えていません。
休みの日は行きつけの定食屋に行って、よく食べてたのがカツ丼だったと思います。
その頃は魚より肉がすきでしたね。
社会人になり、独身時代も外食でしたが、大体は肉料理でした。生姜焼き、カツ丼、カツカレー、たまにとんかつ定食、酢豚、肉野菜炒め、焼肉、すき焼き、冷し中華やチャーシュー麺などなど、肉肉肉でした。
結婚してからも肉食は続きました。
朝食からシャウエッセンのウインナーを食べてましたし、晩御飯の定番は豚肉の生姜焼き、ハンバーグで、休みの日はマックのハンバーガー、そんな食生活を送ってました。
家内が身体をこわし、お医者さんから食生活の改善勧告を受け、肉より魚を食べなさいと言われ、それから少し気をつけるようになりました。
その機会以降は肉を食べることが少なくなりましたが、全く食べないというわけではなありませんでした、
家内が亡くなった後、一人暮らしになって自宅で食事するときは基本は魚を食べてました。
たまに唐揚げを食べようと買ってきましたが、あまり食べられず無理して食べたという記憶があります。やはり一人ものにとってスーパーの販売単位は多すぎますね。
そんな中で、外食は相変わらずハンバーグやハンバーガー、チキンカツ、とんかつなどを食べ続けておりました。そして焼き肉もよく食べました。


肉食を減らしたほうが良いとは、速読教室などで聞いていましたし、知識としたはありましたが実践にはほど遠い状況でした。
概念としては分かっているのだけれど、身体からの肉を食べたいとう要求が勝ってしまい、頭はそれに負けてまあ良いかって思ってストップすることができない、そんな状態だったのだと思います。
後半に続く・・・
2015'11.07 (Sat)
ポテトサラダ
イモ
食べ物の中で何が好きなんだろうと自分自身に聞いてみました。
そして返ってきた答えがイモ。
僕はことごとくイモが好きみたいです。
イモの煮っころがし、ポテトサラダ、干し芋。
これが好きなベスト3です。
ジャガイモの味噌汁、カレーのジャガイモ、コロッケなんかもそそりますね。
フライドポテト、ポテトチップスは昔はよく食べましたが、さすがに今はほとんど食べないです。
小さい頃から田舎でよく食べてたのが芋の煮っころがしです。

(田舎の食卓)
これがなんと言っても一番でしょう。
それに、おふくろの味として忘れられないですね。
母が亡くなってからも田舎に帰ると義理の姉さんが作ってくれました。
僕の好物を心得てくれてました。嬉しかったですね。
ポテトサラダも大好きです。サラダといえばまず頼むのはポテトサラダです。

芋の形が残っている方が好きです。
具材はリンゴ、ニンジン、タマネギなんかが良いです。
リンゴのシャキシャキ感と甘さがたまりませんね。
それから干し芋。

(茨城の干し芋)
これも田舎で作ってました。
その時からトリコです。
社会人になってからもよく買って食べました。
思い出として残っているのが、会社の帰りに干し芋を買って歩きながら食べてたら差し歯が取れてしまったことです。
翌日会社に行ったら笑われてしまいました。
今は毎年茨城から取り寄せています。
これがまたうまい。
まあ、このように自分の好きなものを改めて見つめてみるのも面白いものです。
イモの話でこれだけできるとは思いませんでした。
食べ物の中で何が好きなんだろうと自分自身に聞いてみました。
そして返ってきた答えがイモ。
僕はことごとくイモが好きみたいです。
イモの煮っころがし、ポテトサラダ、干し芋。
これが好きなベスト3です。
ジャガイモの味噌汁、カレーのジャガイモ、コロッケなんかもそそりますね。
フライドポテト、ポテトチップスは昔はよく食べましたが、さすがに今はほとんど食べないです。
小さい頃から田舎でよく食べてたのが芋の煮っころがしです。

(田舎の食卓)
これがなんと言っても一番でしょう。
それに、おふくろの味として忘れられないですね。
母が亡くなってからも田舎に帰ると義理の姉さんが作ってくれました。
僕の好物を心得てくれてました。嬉しかったですね。
ポテトサラダも大好きです。サラダといえばまず頼むのはポテトサラダです。

芋の形が残っている方が好きです。
具材はリンゴ、ニンジン、タマネギなんかが良いです。
リンゴのシャキシャキ感と甘さがたまりませんね。
それから干し芋。

(茨城の干し芋)
これも田舎で作ってました。
その時からトリコです。
社会人になってからもよく買って食べました。
思い出として残っているのが、会社の帰りに干し芋を買って歩きながら食べてたら差し歯が取れてしまったことです。
翌日会社に行ったら笑われてしまいました。
今は毎年茨城から取り寄せています。
これがまたうまい。
まあ、このように自分の好きなものを改めて見つめてみるのも面白いものです。
イモの話でこれだけできるとは思いませんでした。
2015'11.01 (Sun)
宝地図を作りました。
宝地図
ヴォルテックスの望月俊孝さんが考案された宝地図のワンデイセミナーに、10月24日、参加してきました。
これを受ける前段として8月に望月さんの講演会「お金の法則と宝地図」を聞いて、これはやってみる価値があると感じさっそく申し込んだものです。
僕の場合、基本的にやってみたいなぁと思ったことはやるようにしています。
やってみてナンボですよね。
宝地図とはどういうものかと言うと、自分の叶えたい夢を一枚の大きなコルクボードに写真や文字で描いて表現したものです。
そしてそれを日々眺めることで自分の中に定着させ、それによって夢の実現を加速させるというものです。
と理解しました。
僕のことを言えば、前回の講演会を聞いてから、自分の夢を整理し、それを日々瞑想の中で実現するイメージを始めてました。
なので自分の中では現在の夢がなんであるのか明確になっていました。
ワンデイセミナーでは、最初に講義がありチームを組んだりしていくつかのワークを行った後、実際に宝地図を作成する実習を行います。
3人に一人のアドバイザーが付いて4人で1チームとなりますが、そのアドバイザーをチームリーダーがこの人と思う人を早いもん順に確保するというやり方でゲットします。
僕たちのチームリーダーが笑顔が一番素敵だっという理由で選んだ爽やかな人が、うちのチームのアドバイザーとして来てくれました。
本当にとても笑顔が素敵で爽やかな感じの方で、チームリーダーの見る目は素晴らしかったですね。
自分の夢にフィットした写真は事前に用意してきましたが、それだけでは寂しく感じたので、旅行雑誌から適当に観光地の写真を切り取ったりしてアレンジしていきました。
いろんな画像や言葉のパーツが用意されており、それを切り貼りして作成していきます。
アドバイザーの方は経験を生かして、いろいろとサポートしていだだきました。
縁を金色のテープで囲ったり、ハートマークの画像をたくさん切り貼りしてくれたり、だんだん見栄えが良くなってきました。
そして、自分が思い描いている夢がボードの上に描き出されていくのを見ているとこうして宝地図を作っているのが楽しくなって自然と笑顔でワクワクしながらやっている自分がそこにありました。
そして完成です。
出来上がったのを見て回ったりしました。
みんななかなか良い出来ですね。
それからチーム毎に各人の宝地図のプレゼンを行い、メンバーでシェアしました。
自分の夢を語ることで、自分のものとして腑に落ちていく気がしました。
そしてチームの一番人気の宝地図を選ぶことになり、一斉に指差しするというやり方で決めました。
なんと3人とも僕のを示していただきました。
嬉しいですね。
選ばれた人の作品は全員集合写真の際一緒に写真に載せられるということです。
一般の皆さんに公開するのはやめときましょう。
夢が叶ったら載せようかと思います。
なかなか充実した楽しい1日でした。
今その宝地図はリビングのいつも見ているところに置いています。
毎日、朝晩いつも眺めて心に刻んでます。そして夢の実現を加速させています。
これからどうなっていくのか、自分自身のことに目が離せません。
楽しみです。
ヴォルテックスの望月俊孝さんが考案された宝地図のワンデイセミナーに、10月24日、参加してきました。
これを受ける前段として8月に望月さんの講演会「お金の法則と宝地図」を聞いて、これはやってみる価値があると感じさっそく申し込んだものです。
僕の場合、基本的にやってみたいなぁと思ったことはやるようにしています。
やってみてナンボですよね。
宝地図とはどういうものかと言うと、自分の叶えたい夢を一枚の大きなコルクボードに写真や文字で描いて表現したものです。
そしてそれを日々眺めることで自分の中に定着させ、それによって夢の実現を加速させるというものです。
と理解しました。
僕のことを言えば、前回の講演会を聞いてから、自分の夢を整理し、それを日々瞑想の中で実現するイメージを始めてました。
なので自分の中では現在の夢がなんであるのか明確になっていました。
ワンデイセミナーでは、最初に講義がありチームを組んだりしていくつかのワークを行った後、実際に宝地図を作成する実習を行います。
3人に一人のアドバイザーが付いて4人で1チームとなりますが、そのアドバイザーをチームリーダーがこの人と思う人を早いもん順に確保するというやり方でゲットします。
僕たちのチームリーダーが笑顔が一番素敵だっという理由で選んだ爽やかな人が、うちのチームのアドバイザーとして来てくれました。
本当にとても笑顔が素敵で爽やかな感じの方で、チームリーダーの見る目は素晴らしかったですね。
自分の夢にフィットした写真は事前に用意してきましたが、それだけでは寂しく感じたので、旅行雑誌から適当に観光地の写真を切り取ったりしてアレンジしていきました。
いろんな画像や言葉のパーツが用意されており、それを切り貼りして作成していきます。
アドバイザーの方は経験を生かして、いろいろとサポートしていだだきました。
縁を金色のテープで囲ったり、ハートマークの画像をたくさん切り貼りしてくれたり、だんだん見栄えが良くなってきました。
そして、自分が思い描いている夢がボードの上に描き出されていくのを見ているとこうして宝地図を作っているのが楽しくなって自然と笑顔でワクワクしながらやっている自分がそこにありました。
そして完成です。
出来上がったのを見て回ったりしました。
みんななかなか良い出来ですね。
それからチーム毎に各人の宝地図のプレゼンを行い、メンバーでシェアしました。
自分の夢を語ることで、自分のものとして腑に落ちていく気がしました。
そしてチームの一番人気の宝地図を選ぶことになり、一斉に指差しするというやり方で決めました。
なんと3人とも僕のを示していただきました。
嬉しいですね。
選ばれた人の作品は全員集合写真の際一緒に写真に載せられるということです。
一般の皆さんに公開するのはやめときましょう。
夢が叶ったら載せようかと思います。
なかなか充実した楽しい1日でした。
今その宝地図はリビングのいつも見ているところに置いています。
毎日、朝晩いつも眺めて心に刻んでます。そして夢の実現を加速させています。
これからどうなっていくのか、自分自身のことに目が離せません。
楽しみです。
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