2016'01.30 (Sat)
フィンドホーンに行くことになったいきさつ
今回は僕がなぜフィンドホーンに行くようになったのかを振り返ってみます。

フィンドホーンという言葉を初めて聞いたのは、たしか仲町台の鍼治療院でした。
2012年ごろだったでしょうか。
そこの待合室にフィンドホーンのパンフレットが置いてあり、何気に手にとって眺めてたら先生がフィンドホーンの説明をしてくださったと思うのですが、遠いところの話であり、自分には関係ないなあという感じがあって、その時は全く頭に残りませんでした。
それが最初の出会いだったと思います。
最初にフィンドホーンに行ったのは2013年の年末に行われたバーバラのニューイヤーセレブレーションでした。
その年の初めまではフィンドホーンに行くとは思ってませんでしたね。
それが何故行くことになったのでしょう?
最初の風は、やはり仲町台の鍼治療院で吹きました。
仲町台の鍼の先生はフィンドホーンに3回行かれた方で、先生がフィンドホーンに行かれることになったいきさつや、その後行かれた時の経緯などをよく話していただきました。
先生は、自分が行きたいと思って行ったと言うよりは、フィンドホーンに行くことに気づかされて、まさにフィンドホーンから導かれるように行ったと言うことでした。
フィンドホーンで友達になった人が日本に来た時に部屋をシェアしてあげた話とか、パークの夏はお花がいっぱいでとてもきれいだとか色々と話していただきました。
そのような話を聞いてもその時は特に行きたいとは思いませんでした。
ところがその年のある日、たしか春あたりだったと思いますが、先生から「清水さんはフィンドホーンに行くことになっているから」と言われたのです。
突然そう言われても、とまどうだけで、すぐ行こうという気持ちは起きません。
とはいえ、その一言が、フィンドホーンに行ってみようという気持ちを起こさせ、結局行くことになった原因であることは確かです。
鍼の先生はかなりスピリチュアルな方で、それまでいろんなスピリチュアルな経験のお話をしていただいてました。
なので、そのようなあるかないかわからない未来のことを言われても、全くの冗談とは思いませんでしたし、どちらかというとそうなんだあ、と自分の心の中ではどういう流れで行くようになるのかなあという思いが浮かんでました。
それに、月に一回程度は鍼治療でお世話になってましたので、そのような人からそう言われてそのままにしておくわけにもいきません。
行くか行かないかを決めて先生の予言が当たっているのかそうでないのかを示さなければなりません。それには行くか行かないかを自分で決めなければなりません。
ただ、人から言われたから行くというのでは僕自身納得できません。
しばらくもんもんとするする時間がありました。
そこで、フィンドホーンがどういうところなのか、それが自分にとって有益なのかどうかは、結局のところ行ってみて体験しないことにはなんとも言えないじゃないか、だったら行ってみようっていう正当性理由をつけ、フィンドホーンに行くことを自分に納得させました。
そして、行ってみた結果それが良いところなのかそうでないのかを判断しても遅くはないだろう、と。
そのな流れで、フィンドホーン行きが決まりました。
しかし、それからがハードルが高かったのです。
つづく。
2016'01.05 (Tue)
今に生きること
今に生きること
自分の整理として、これをテーマに書いてみることにします。
今に生きること。
それはどういう事なのでしょうか?
今に対比して言われるのが過去と未来です。
過去は過ぎ去った今、未来はこれから起きる今。
そして、この宇宙には今しかなく、過去も未来も同時にある、とも言われています。
確かに、過去は過去だし、未来は未来で、今とは違いますね。
そう見た時に、今に生きるとはどういう事でしょう。
例えば、過去。
過ぎ去った楽しい思い出や、悲しい思い出があり、それにふけっている時、それは今に生きてると言えるでしょうか?
考えているのは今でしょうが、その行動自体は過去にとらわれており、今に生きているとは言えません。
それでは未来。
将来の事に夢膨らませている時や、起きもしない事を心配している時、それは今に生きていると言えるでしょうか?
考えているのは今でしょうが、その行動自体は未来にとらわれており、今に生きているとは言えません。
このように、思い出にふける行為や心配事に頭を悩ます行為は今を生きる行為ではないようです。
となると、今を生きるとは何をすれば良いのでしょう?
感じてはダメ、考えてはダメ。
という事は、何も感じない、何も考えない状態という事なのでしょうか?
なかなか難しそうです。
どうしたらそのような事ができるのでしょう。
良く言われるのが呼吸の意識と瞑想です。
呼吸を意識すること。
普段自分の呼吸を意識することは少ないと思います。それほど頭はいろんな思考や感情でいっぱいという事です。
呼吸を意識するということは、生きている今の瞬間に意識があるという事です。
呼吸を意識している時は他の事は考えていないし、感情もないはずです。
それから良く言われるのは、瞑想することです。
これは呼吸による瞑想の場合は呼吸と同様です。
瞑想の中では、思考や感情が湧きあがってきたらそれを手放しなさいと言われます。
そうすることによって過去と未来を排除していき、そうすることで、残った今を生きることになります。
それから、空間を意識して歩くというのも今を生きる方法の一つだと思います。
自分が動いていく空間のツブツブを意識することで、今を感じることができるのだと思います。
また、ホ・オ・ボノポノのヒューレン博士は口癖のように、クリーニングしなさいと言ってます。これも今に生きることにつながっているのだと思います。
いずれにおいても、過去にとらわれない、未来を心配しない、感じない、考えない状態が今を生きる状態と言えるのではないでしょうか?
そこで、次の疑問が湧いてきます。
それがなんで大切なのでしょう?
自分の整理として、これをテーマに書いてみることにします。
今に生きること。
それはどういう事なのでしょうか?
今に対比して言われるのが過去と未来です。
過去は過ぎ去った今、未来はこれから起きる今。
そして、この宇宙には今しかなく、過去も未来も同時にある、とも言われています。
確かに、過去は過去だし、未来は未来で、今とは違いますね。
そう見た時に、今に生きるとはどういう事でしょう。
例えば、過去。
過ぎ去った楽しい思い出や、悲しい思い出があり、それにふけっている時、それは今に生きてると言えるでしょうか?
考えているのは今でしょうが、その行動自体は過去にとらわれており、今に生きているとは言えません。
それでは未来。
将来の事に夢膨らませている時や、起きもしない事を心配している時、それは今に生きていると言えるでしょうか?
考えているのは今でしょうが、その行動自体は未来にとらわれており、今に生きているとは言えません。
このように、思い出にふける行為や心配事に頭を悩ます行為は今を生きる行為ではないようです。
となると、今を生きるとは何をすれば良いのでしょう?
感じてはダメ、考えてはダメ。
という事は、何も感じない、何も考えない状態という事なのでしょうか?
なかなか難しそうです。
どうしたらそのような事ができるのでしょう。
良く言われるのが呼吸の意識と瞑想です。
呼吸を意識すること。
普段自分の呼吸を意識することは少ないと思います。それほど頭はいろんな思考や感情でいっぱいという事です。
呼吸を意識するということは、生きている今の瞬間に意識があるという事です。
呼吸を意識している時は他の事は考えていないし、感情もないはずです。
それから良く言われるのは、瞑想することです。
これは呼吸による瞑想の場合は呼吸と同様です。
瞑想の中では、思考や感情が湧きあがってきたらそれを手放しなさいと言われます。
そうすることによって過去と未来を排除していき、そうすることで、残った今を生きることになります。
それから、空間を意識して歩くというのも今を生きる方法の一つだと思います。
自分が動いていく空間のツブツブを意識することで、今を感じることができるのだと思います。
また、ホ・オ・ボノポノのヒューレン博士は口癖のように、クリーニングしなさいと言ってます。これも今に生きることにつながっているのだと思います。
いずれにおいても、過去にとらわれない、未来を心配しない、感じない、考えない状態が今を生きる状態と言えるのではないでしょうか?
そこで、次の疑問が湧いてきます。
それがなんで大切なのでしょう?
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